なぜ彼女は処女膜で歌ったか

つまり、何故アシカは鹿ではないか

好きな物について描く縛り:大正〜昭和初期の少女雑誌

大正〜昭和初期の少女雑誌が好きです。

突然語り出すよ。

 

大正〜昭和初期には、「少女画報」「令女界」「少女倶楽部」「それいゆ」などなど、多くの女学生向けの雑誌が刊行されていました。

中身は今の女子向けのファッション誌みたいなちゃらちゃらした「ファッション!!セックス!!」といったものではなく、主に文学、作法、家事、そして慎み深い女性になるための精神論などでした。

婚前交渉なんてもってのほか。それどころか、婚前に特定の男性と仲良くなるのは、それだけで淫らであると書かれるような時代です。

 

これらの少女雑誌のイラストレーターや作家としてデビューしたのをきっかけに、有名になった人もたくさんいます。

一番有名なのは、竹久夢二でしょう。

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こんな感じのふわっとした女の子をよく描く画家で、今もおばさん達に非常に人気があります。夢二の描く着物の色合わせや、着こなしを特集した本もあります。

大正期には女の子の着物は華やかに、ダイナミックな絵柄や色合わせを取り入れるようになったのですが、そういったファッションも楽しむことができる絵をたくさん残しています。

私個人的に、竹久夢二は好きじゃないんですよ。

というのは、次の高畠華宵の方が好きだから!

 

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見てこれ!!超きれい!!

竹久夢二と比べて、高畠華宵の色塗りはかなり現代的な感じがします。

ファッションに関しても、竹久夢二が町娘を扱うことが多かったのに対して、こちらはお金持ちのお嬢様を取り上げることが多く、華やかな令嬢風。左の女の子の着物の柄がモダンですごくかわいいですね。高畠華宵の描く女の子はみんなこういう徒っぽい感じの美人で、大好きです。

右の女の子2人は洋装です。大正期は、髪を短くし、洋装を着こなすモダンガールと呼ばれる女の子達が登場した時期です。少女雑誌の中でも、洋服の着こなしが頻繁に取り上げられました。その着こなしがまた、現代の感覚から見ると新鮮で素晴らしい。

 

中原淳二という人は、イラストレーターとしてだけではなく、ファッションリーダーとしても活躍しました。

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当時の少女雑誌には、写真が使われていません。洋服の作り方(当時洋服は全て手縫い)も髪の結い方も全てイラストで描かれています。洋服のデザインをしていた中原淳二は、少女達のための洋装をイラストで提案し、大人気になりました。

この画像を見ると、確かにスカートの丈は長すぎるけど、シンプルで、柄がよくて、とてもユニークなスタイルが提案されていることがわかります。今どきこんなのどこにも売ってないよ。かわいい。

 

右上の「フリージヤ」の項に

「貴女がもし舞台にお立ちになる時、こんなのをお召しになったらどんなに引き立つでしょう」

と書かれています。

少女雑誌は、全てこういうものすごく綺麗な日本語で書かれています。これを読むのが本当に楽しくて楽しくて仕方がない。

 

しかし少女雑誌は今、1冊5000円とかで取引されていて、なかなか手に入るものではありません。

こういう日本語を手軽に楽しみたいときに読むのが、吉屋信子の小説。吉屋信子は、少女雑誌に小説を連載していた女流作家です。

 

吉屋信子の小説のテーマは、ずばり「百合」です。

大正〜昭和初期は、異性と会話することすらままなりませんでした。そのため、思春期の女の子達は、女の子同士で非常に特殊な関係を結ぶようになりました。その関係を、シスターから取って「S」と呼びます。Sの女の子達は、疑似恋愛のような友情のような、不思議な切ない関係を持ちました。吉屋信子は主にそういう「S」の世界を、何とも美しい言葉で書き綴っています。「マリ見て」の超上位互換です。

吉屋信子読み始めは、「花物語」がおすすめ。花の名前をタイトルにした短編集です。

 

ほんっと少女雑誌の原本が欲しいんだけど高くて死ぬ。

いつか1冊で良いから手に入れたいなー。