読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なぜ彼女は処女膜で歌ったか

つまり、何故アシカは鹿ではないか

もっと詩を書けお前ら その2

その1のつづき。

 

「良い詩」の条件として、

・多数の意味があること

・感動が深いこと

を挙げました。

 

まず1点目に関してですが、

およそ詩人として通用している人々の詩は、

比喩、特に隠喩が多用されています。

 

例を挙げると、

「恋をしている際の気持ちは、青空のように晴れ渡って、爽やかである」

これはロマンチックな文章ですな。

 

「恋する気持ちは青空みたい」

これはポエムです。

 

ポエムとはどういう物を指すのかというと、これもまた複雑だけど、

現代詩は、難解で自己陶酔が激しくて、哲学者の遊びみたいな方向に発展してしまったために、

昭和から平成にかけて読者が激減したという歴史があるそうです。

その中で、大衆にも理解でき、自分でも書くことが出来る自由詩の形として残ったのが、「ポエム」という形態だと私は理解しています。

つまり詩との対比としてのポエムは、「ああそれ共感できる」とか「それが言いたかったんだよ!」みたいな

痒いところに手が届くような表現方法と言っていいかもしれません。

今回おすすめしたいのはポエムではないので、

ポエムについては他の方のブログを読むなりしてください。

 

「恋は青空」

これが詩です。

この短い表現では、何が言いたいのか全くわかりませんね。

恋する気持ちが青空に似ているのか、

恋という現象自体が青空に似ているのか、

そもそもどんな形態の青空のどこが恋に似ているのか、

むしろ「青空」とは中国人の女の子の名前じゃないかとか、

様々な憶測ができます。

この憶測が詩の最も重要な装置だと思います。

 

小学校や中学校で詩を読む授業があったと思いますが、大体クソですよね。

あんな授業してるから詩離れが進むんですよ。

「詩を読んで、詩人の意図を選びましょう!」みたいな問題が平気で出る。

詩は、詩人の意図を理解する必要はありません(理解して欲しいなら評論で書くよ)。

詩は、詩人の使った言葉を元に、自由な憶測や様々な深読みをして、自分の世界を作って楽しむものです。

 

だから隠喩が上手い詩人は、良い詩人だと思います。

解釈に多様性を許してくれる、自由度の高い詩こそが、良い詩、楽しい詩だと思います。

私がポエムを推さない理由はここにあって、ポエムは大体解釈が1つしかなりたたないので、自由度が低く、

彼氏にさえ拘束を許さないじょーたそさんには息苦しくて敵わん。

 

詩は自分で勝手に解釈するものですが、

勝手に解釈した結果、ものすごく面白いことに気付いたり、

面白い物語が浮かんできたりします。

これが2点目の深い感動に繋がるわけ。

 

つづくよっ