なぜ彼女は処女膜で歌ったか

つまり、何故アシカは鹿ではないか

【女の子向け】セクハラの被害者になる前に知っておくべき3つのこと

※この記事は、自分に起こったことをラベリングしたときに、「強姦」「暴行」ではなく、「セクハラ」がふさわしいと感じる方向けに書いた物です。「強姦」「暴行」がふさわしいと感じる方や、その他の「痴漢」などがふさわしいと感じる方にとっては全く参考になりませんし、参考にすべきではありません。

※個人の経験に基づきます。

 

 

貴女はセクハラをされたと感じたことがありますか?

女性にとって「セクハラの被害者になる」というリスクは、多分天災よりもずっと大きいと思います。

しかしこのような危険に対して、現在出回っている情報は稚拙すぎて馬鹿馬鹿しいようなものばかりです。

 

「セクハラありませんか?報告して下さい!」という組織のメンツを守るための掲示と、

「男はセクハラするから全員クズ」というフェミニズムが暴走したメッセージ、

「セクハラをされないためにはどうしたらいいのか」という処女厨的臭いに満ちた大きなお世話。

どれもセクハラをされた後、被害者がどう生きるかという文脈を欠いています。

こんなんでリスクマネジメントとかちゃんちゃらおかしいですね。

今回は、セクハラをされたと感じた時に備えるという観点から、少し書いてみようと思います。

 

こんな文章をここに残すのには理由があります。

私は16の時、知人の40代男性にキスされたり体を触られたりしたことがあり、警察にてその事件が「未成年に対する性的接触」として有罪になるかならないか、というところまで行ったことがあります。

私はその時本当に子供で世間知らずで、今となっては「なぜこんなこと騒いだんだろう」と思うようなただのセクハラに過ぎませんでしたが、とても思い悩んでしまいました。

今までこの経験をきちんと把握し直したり、他の人に読んでもらったりしたことがなかったので、こういう形で書くことにしました。

とりあえずやってみる!

 

<貴女がセクハラの被害者になる前に知っておくべき3つのこと>

 

1,決して後悔してはいけない

多分これが最も重要なことです。

セクハラの加害者は多くの場合知人男性だと思うのですが、セクハラをするような方々はモラルが破綻しているので、セクハラの言い訳として「お前にも責任があったのだ」「魅力的だったから」と、被害者側に責任転嫁してきます。

この知人男性を信頼しているほど、貴女は相手の言葉を信じて、自分を責めてしまうでしょう。

 

「自分が誘ったのではないか」「誘ったように見えてしまったのではないか」

「自分にも悪いところがあったのではないか」

「自分みたいな人間にも優しくしてくれた人だし」

 

しかし自分を責める必要はこれっぽっちもありません。

貴女が全裸で寝転がっていたって、加害者に貴女がされたことをされる筋合いはないということを、忘れてはいけません。

貴女の心と体は貴女の物で、誰にも勝手に触れられる筋合いはありません。

こういう最も基本的な自己所有権の意識が混乱してしまうと、欝というもっと深い地獄のスパイラルに落ちてしまうことになります。そのスパイラルについて加害者は責任を取ってくれません。

例え被害者になっても、自分のことは自分でやる。心の整理も自分でやる。欝にならない対策も自分でやる。自己尊厳は自分で守る。残念ながらそういう仕組みになっています。

だから被害を受けた後、絶対に後悔しない、自分を責めないということを忘れないで。

 

 

2,あなたには選択の自由があることを知る

「セクハラされた、どうすべきか」と誰かに相談したら、十中八九返事は同じです。

「出るところに出て、加害者をとっちめろ」

「悪を罰せよ」、これは社会的モラルで、非常に「正しそう」な意見ですね。

 

しかしこのモラルが、貴女にとって「正しい」とは限らないのです。

「出るところに出ろ」と言っている人は、正義を果たすことだけしか考えていない。つまり結果を重視している。

しかし正義を果たすプロセスというのは、時に恐ろしいものです。

もし加害者が自分より社会的に認められているとか、味方がいっぱいいるとか、そういう条件が揃っていれば、貴女にはセカンドレイプのリスクがあります。

貴女は、誰かに「嘘をついてるんでしょう?」「本当はそんなことなかったんでしょう?」「あなたから誘ったんでしょう?」「加害者に恋をしてたんじゃないの?」と言われても、それでも真実を真実であると信じることができ、公表したことを後悔せず、強く健やかなままでいられるでしょうか。

その自信がある人だけが、公表すべきだと私は考えています。

個人的にも、自分が経験した性的接触自体よりも、セカンドレイプの方が苦しい拷問でした。

なので、公表する前によく考えた方がいいと思います。

 

「何があっても黙っているべきだ」「犯罪を黙認しろ」と言っているわけではありません。

社会としては、もちろんセクハラは撲滅すべきです。そのために1人でも多くの被害者が真実を明らかにすることが必要です。

しかし個人個人にそれぞれの人生があります。心があります。社会における正義と個人の心身の健康とを比べた時、心身の健康を優先すべき場合があるということを、貴女は忘れてはいけません。

貴女には、「公表しない自由」があり、公表するのは冷静に考えてからの方がいいです。これは、セクハラを受ける前に覚えておいて欲しいことです。

 

 

3,時間が解決してくれる

例えどのような事情だとして、貴女が直後どのように感じても、全て時間が解決してくれます。これは絶対に信じてほしいことです。

恐らく貴女はセクハラをされた時、自分の肉体が変質してしまって、自分の精神に取り返しの付かない崩壊が起こったような気がするでしょう。

こんな傷が本当に癒えるのかと、絶望するかもしれない。

自分は変わってしまったと感じ、もう他の人とは違う存在で、誰ともわかりあうことができないと感じるかもしれない。

 

しかし、私はここで予言しておきたい。

貴女は、弱い女の体を食い物にするような加害者に変質させられてしまうような無価値な存在ではありません。

貴女は強く、そして無限の可能性を持っています。

どんな悲劇が起こったとしても、生きている限り、必ず傷が癒える日が来ます。

そして不特定多数・特定多数に対して、「私の経験はこうだった。私は後悔していない。私は立ち直った」と大きな声で話すことができる日が来る。

それを待つのは苦しいかもしれませんが、時間は唯一の希望なのです。

 

私も、当時と比べて、自分の身に起こったことについてより冷静に考えることが出来るようになりました。

振り返ってみれば、自分がただの子供だったこと、もっと全員が幸せになる解決策があったことに気付きます。

価値観が変わって、当時は憤慨していたことが、今はそんなに重要でなくなっているというものもあります。

例えば、私は加害者にファーストキスを奪われていますが、その後何百回と自分の意志で恋人と楽しいキスをし(卓越した高度技術も磨き)てきているので、クソ野郎とどんなキスをしたかというのは自分の中ではどうでもよくなっています。

時間は自分を変え、起こったことへの評価を変える。

貴女の傷が癒える日は必ず来ます。そしてそれは、何者も奪うことができない唯一の光です。

 

 

たくさんの女性が、苦しみのない幸せな道を見つけられるよう、みんなで願っていきたいですね。

 

 

<この文章を読んだ男の子達へ>

男の子達の中には、この文章を読んで「何て気持ち悪いんだ」と思う人がいたかもしれない。それは別に良いです。加害者にならない・被害者に接触しないのであれば、こんな文章気持ち悪い、それで全く問題ありません。

 もし、男の子達の中に、

「男として自分は何をしたらいいんだろう」と考えた方がいれば、その方に伝えたいことがあります。

個人的な意見として、多分どのような種類の犯罪でも同じだと思いますが、非被害者が、被害者の気持ちを「きちんと理解する(ように努める)」というのは健やかな状態ではないと思います。これは、知らなくてもいいことであり、知るべきではないことのような気がしています。

ただ知り合いが被害者になった時自分は何をしてあげられるか、被害が起こる現場にいた時自分に何ができるか、社会としてこういった犯罪被害者に何ができるか、ということは、もしかしたら考えてみてもいいかもしれません。

何事にも距離が大切で、他人の自己尊厳の根幹が関わっており、貴方の優しい言葉が相手を救い、もしくは心ない言葉が相手を殺してしまうという大きな危険は見据えなければなりません。

その中で、みんなが安全で幸せで、自分を大事にできる社会にしたいという願いを共に追及していけたら良いですね。