悲しみは海の底で真っ白な魚になる
チヨちゃんは悲しいのでした
買ってもらったばかりの赤い靴が焼けてしまったので
チヨちゃんは悲しいのでした
泣く泣く帰るチヨちゃんの足
涙の粒が万華鏡です
誰もが一番大切なものをなくしてしまう
夏の夕暮れ
チヨちゃんは悲しいのでした
68年前に買ってもらったばかりの赤い靴が焼けてしまったので
チヨちゃんは悲しいのでした
真っ赤に燃える彼方の松山
キノコ雲と雨の広島
母と逃げた堺の海で
銃弾が砂を蹴ります
チヨちゃんはあれから子どもを産んで
その子どもが子どもを産んで
子どもの子どもも大人になって
長い月日が経ったのでした
そして私がこの詩を書くのは
あのときのチヨちゃんの涙が
雨と共に海に流れて
そこで真っ白な魚になって
苦しみの深海を照らす一振りの剣となったことを
皆様にお伝えするためなのでした
そしてその古びた光の剣は人々の手から手へと渡されながら
永遠に受け継がれて行くのでした
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終戦に合わせて書きました。
チヨちゃんというのは実は母方の祖母の名です。
赤い靴をなくしたのは実話ではなく空想ですが、
真っ赤に燃えた松山を彼方から眺めたという話は実話です。
広島のキノコ雲を大阪湾から眺めた話、堺の海で絨毯射撃にあった話は祖父の実体験を使いました。
こういう抽象的な形で実話を表現するのは初めてだったので、とても面白かったです。
戦争の話をしましょう。
これは昨日か一昨日にTwitterで見たのですが、「今生きている戦争経験者は物心つかないうちに終戦を迎えており、『戦争を知っている』とでかい顔をされる筋合いはない」的な批判があるとかないとか。
まあどっちかというとないような気もするんだけど。
もう68年も前なので、私の祖父は中学校の時に終戦、祖母は小学校の時に終戦を迎えており、戦争を知っているような知らないような、微妙な世代です。
しかし彼らが小さな子どもだった時に、「国のため」という納得できるようなできないような理由で肉親や周囲の人がバタバタ亡くなって、次第に物がなくなって、焼夷弾を見て「花火みたいだなあ」としみじみ思うような、夢見ることが苦しい生活をしていたということは、やはり辛く、戦地には行っていなくても、彼らもまた戦争を知っていると言って良いのだろうなって思うのです。
戦争経験者の手記は世にたくさん出回っていますが、肉親から聞く言葉ほど心に残るものはありません。
もし幸運にも戦争経験者の方が生きていらっしゃるのであれば、次の若い世代に戦争の形を伝えるためにも、きちんと聞いておいた方が良いと私は思います。