なぜ彼女は処女膜で歌ったか

つまり、何故アシカは鹿ではないか

最低の戦

 誰にでも突然自殺したくなる日がある。
 理由がある時も、ない時もある。理由もなく、ただおもむろに自殺してみたくなることもある。
 そんな日には、生存は防衛戦だ。
 
 大体において、芸術は自殺を思いとどまらせる役には立たない。特に小説や詩のような、言葉を使う芸術はクソの役にも立たない。そもそも言葉は最低の一日を終わらせるより、生み出すのが得意なのだ。言葉が人間を救ったことだってあるかもしれないが、そんな天文学的な奇跡が今ここで、自分の目の前で起こるのか。
 
 絶望は簡単である。細かいことを考えればいい。矛盾を目撃すると人間は希望を失くす。
 そして希望を取り戻すのは難しい。希望は自ら掴むものだが、自分の目では見つけることができない。他人の目を借りて探さねばならない。しかし今の時代、誰が目を貸してくれるだろう?
 
 怒りを抑える方法には色々あるが、暴力が一番素晴らしい。他人に対する暴力はやり過ぎると警察沙汰になるが、自分に対する暴力は自由である。ニュー・フロンティア。自分への暴力に、ピューリタンとして移住して、民主主義の国を作りたい。その国なら自分だって幸せになれる気がする。
 
 しかし明けない夜はない。時間は慈悲深い。