なぜ彼女は処女膜で歌ったか

つまり、何故アシカは鹿ではないか

「おちんちんガールスカウト」について作文力総動員して書いたら4800字になった

 「おちんちんガールスカウト」という言葉をご存知だろうか。

 知っているとしたら、それは錯覚であろう。なぜなら、「おちんちんガールスカウト」なる言葉は存在しない。

 GoogleYahoo!で検索しても、ヒットするのは「ガールスカウト」の連盟のHPであり、それ以外には「おちんちん」と「ガールスカウト」を含む文章しかない。「おちんちんガールスカウト」という連なりでこの言葉を使用している例はない。つまり、「おちんちんガールスカウト」は、今この瞬間初めてインターネットに登場する語である(ちなみに「おちんちんボーイスカウト」も存在しないため、そちらが好みの人はそちらで考えてもらって構わない)。

 我々が日々使用している語句の中で、誰一人使ったことのない全くの新語、というのはなかなかあるまい。わざわざ使う意義も感じられないだろう。しかし今、私の目の前にこの「おちんちんガールスカウト」という語が鎮座している。意味はまだないが、何らかの意味を感じさせる能力を持っている。たったの12字の語句から、「WHY?」「WHAT?」、もしかしたら「HOW?」という疑問が止めどなく沸き起こるのを感じる。

 「おちんちんガールスカウト」は何故、こんなにも探究心を刺激するのか。何故、我々は「おちんちんガールスカウト」という語の前では、探索者にならざるを得ないのか。

 この問いを追求することは、一見無意味である。いや、何見したところで無意味としか思えまい。しかし、「無意味としか思えない」ないし「無意味である」ということは、実は意味を持っている。それは、我々が日常生活の中で繰り返す、諦めと見限りの始点に他ならないからである。

 「『おちんちんガールスカウト』という語について、構造的に紐解く」という命題に興味を持てないとしたら、あなたは既に退屈病に冒されていると言える。「おちんちんガールスカウト」という言葉が、その病の処方箋にはなるとは限らない。結局のところ、「無意味」の中に意味を見出すことができないかもしれない。しかしそうではないかもしれない。その可能性の揺らぎが、我々を「おちんちんガールスカウト」へと導く。

 一応断っておくが、あなたがこの文章を読み終わった時、「面白くない」と思ったとしても、それは私のせいではなく、あなたの病気である。私のせいにしないでほしい。こんなところで、導入部は終わりである。

 

<意味>

 知らない語について考える時、何はともあれ気になるのは、その語の意味である。「おちんちんガールスカウト」という言葉は、一見意味がありそうに感じる。何せ「おちんちん」と「ガールスカウト」の融合である。類推すらできそうだ。しかし意外にも、意味はない。

 「おちんちんガールスカウト」の無意味さは、少々特殊に思える。ここに「いじゃすぅぃぎバラッバン」という言葉がある。いや、厳密にはない。私が、今ここに「いじゃすぅぃぎバラッバン」という語を生み出した。意味はない。新たな無意味語の誕生である。

 「いじゃすぅぃぎバラッバン」は「おちんちんガールスカウト」と同じく、Web検索には引っかからない。しかし「おちんちんガールスカウト」を検索した時には、せめてもの慰めと「ガールスカウト」の検索結果だけは出してくれたのに対して、「いじゃすぅぃぎバラッバン」に至っては検索結果は0件であった。これは、Web検索くんから見ると、「おちんちんガールスカウト」は無意味語にも関わらず、何か意味を感じてしまったのに対して、「いじゃすぅぃぎバラッバン」は心底意味を感じられない無意味語であったことを意味する。人間から見ても同様であろう。「いじゃすぅぃぎバラッバン」に比べ、「おちんちんガールスカウト」の方が、何らかの意味を感じられそうである。

 「意味を感じられそう」ということは、人間の心の方から、何か意味を感じに行っている、意味を探しに行っていると言えよう。簡単に言うと、我々人間は「いじゃすぅぃぎバラッバン」より、「おちんちんガールスカウト」の方が好きであるということだ。私としては、「いじゃすぅぃぎバラッバン」は嫌いではない。何と言っても生みの親である。しかし「おちんちんガールスカウト」の方に、より魅力を感じてしまう。

 「おちんちんガールスカウト」の魅力の源は、思考する余地にあると私は考える。「おちんちんガールスカウト」には、自分の知識から意味を推定する楽しみがある。

 「おちんちん」と「ガールスカウト」が連なると、どのような意味になるのか。女の子達がおちんちんを楽しむガールスカウトだろうか。それとも、言葉を話すおちんちん達が所属するガールスカウトなのか。いや、「おちんちんガール」と「スカウト」の連なりと考えることもできよう。その場合、「おちんちんガール」とは一体なんぞやということについて、楽しい思惟の時間が待っている。

 「おちんちんガールスカウト」には、思考する楽しみがそこかしこに散りばめられているのがわかる。しかも、それが自分の持つ既存の知識を用いて行われるというのが、楽しみを更に増大させている。

 子供の頃は、クイズやなぞなぞに熱中したものだ。大人になってみると、なぜあんなにも楽しかったのかわからない。「おちんちんガールスカウト」は、クイズやなぞなぞとよく似ている。言ってみれば、ヒントはあるが答えのないクイズである。「おちんちんガールスカウト」から垣間見える楽しみは、実は子供時代の思い出と重なって輝いているようにも感じられる。

 「おちんちんガールスカウト」の意味について考える楽しみは、極めて遊び的な楽しみであると言えよう。

 これに対して、「いじゃすぅぃぎバラッバン」は、ほぼ意味の推測は不可能である。「いじゃすぅぃぎバラッバン」の意味を考える時、私たちはゼロからの創作を必要とされている。まず伝えたいことを考え、その意味を「いじゃすぅぃぎバラッバン」に載せる。あたかも芸術作品のように、自分の思想を載せていく。その過程は意義深いものであるが、苦痛も伴っている。

 我々が「いじゃすぅぃぎバラッバン」を敬遠するのは、芸術家の苦しみを無意識のうちに感じ取っているからかもしれない。「いじゃすぅぃぎバラッバン」の意味について考える気が起きないというのは、根底に芸術家的取り組みへの諦めが含まれている。そう考えてみると、「いじゃすぅぃぎバラッバン」は寂しい言葉である。

 

<音楽と絵画>

 前項では、「おちんちんガールスカウト」の意味について考察した。我々は、無意味な語の前に立った時、無意識のうちに意味を類推してしまう生き物である。しかも、「おちんちんガールスカウト」はただの無意味語ではなく、子供の遊びのような魅力を内包しているから、恐ろしく惹かれてしまう。

 では、無意識で行われる無意味語に対する意味の推測を、一度やめてみよう。「おちんちんガールスカウト」の意味を考えるのをやめ、その他の形質について考えてみようではないか。

 言葉には、意味がある。言葉は、意味があるからこそ使用されるし、使用する時点で既に意味があるものである。言葉が箱であるとすると、言葉の蓋を開けると、箱の中には必ず意味が入っているものである。
 しかし、「おちんちんガールスカウト」の箱は、空っぽである。「おちんちんガールスカウト」は、意味を持つ言葉達の向こう岸から、我々に何かを語りかけてくるが、彼らが語りかけてくる「何か」は、意味ではない。何度も言うが、「おちんちんガールスカウト」は無意味である。
 「おちんちんガールスカウト」の箱を、今、机の上において、もう一度眺めてみよう。「言葉」における箱、つまり意味を包み込んでいる入れ物の部分であるが、それは文字である。そして、読んだ時の音声である。「おちんちんガールスカウト」という文字と、「おちんちんガールスカウト」という音声である。

 「おちんちんガールスカウト」という空き箱を見つめるということは、文字を見つめ、音声を見つめるということに他なるまい。絵画を眺める時、そして音楽を聞く時のように、「おちんちんガールスカウト」を見つめてみる。そうすると、意外な魅力に気付くだろう。「おちんちんガールスカウト」は平仮名の丸みとカタカナの角ばりが、絵画として鑑賞の余地があるように見えてくる。「ちんちん」の韻とリズムは音楽として鑑賞の余地があるように見えてくるではないか。

 無意味語だけではない。全ての意味を持つ語が、同様に文字や音声を持っており、見つめる視点さえあれば、絵画になり、音楽となる。文字や音声には、意味を伝えるという重要な役割があるが、それ自体にも美が眠っているのである。

 我々は言葉の意味を巡って余りにも苛烈な戦いを日々行っている。しかし、一度息をついて、「言葉の箱」を机の上に載せてみよう。その絵画、その音楽を鑑賞してみよう。それらはもちろん現実の戦いを収束させはしない。しかし、我々の心に、明日も戦うエネルギーをくれるはずである。

 

<何の質感もない箱>

 前項では、「おちんちんガールスカウト」の絵画的・音楽的価値について考えた。いや、どんな言葉にも絵画的・音楽的価値がある。「おちんちんガールスカウト」という無意味語が、その美しさを写す鏡となったのである。

 では今度は、言葉の絵画的・音楽的な側面を考えるのもやめてみよう。言葉の意味を考えるのをやめ、言葉の文字と音声について考えるのもやめる。その時に、そこには何が残っているのだろうか。

 もう一度、言葉を、意味を収納する箱と考える。文字や音声を考えるということは、さながら箱の質感を考えるということであった。

 意味も文字・音声も考えないで「おちんちんガールスカウト」という箱を見ると、何が残るか。そこには、何の質感も持たない空き箱が残っている。文字も音もない、意味を収納する空間がある箱だけが残っている。いかなる感動を挟む余地もない、無特徴・無個性の空間。そこにあるのは、何かを収納できる可能性だけである。

 これが、言葉の最もプリミティブな形であろう。まだ言葉になっていない言葉の卵、言葉の赤ちゃんとでも言おうか。言葉は、何の意味も持たないただの区切られた空間に、意味と質感が付与されることで初めて誕生する。

 この区切られた空間は、一体いつから存在するのだろうか。言葉が発明された瞬間、この空間は既にあった。言葉が発明された瞬間、言葉が発明されることによって生まれたのだろうか?それとも、言葉が発明される前に生まれたのだろうか?前だとすれば、それはどれほど前だろう。一瞬前だろうか、それとも悠久の時が必要だっただろうか。

 ここに、巨大な問いが深淵の口を開いて、我々の前に登場した。言葉の原点とは一体何で、いつから生まれたのか、という問いである。その問いは、真っ暗な闇に満ちた洞窟のようなものだ。「おちんちんガールスカウト」などというふざけた名前からは全く想像もつかなかった、真っ暗な闇である。闇の先には何も見えない。ゴールはあるのか、それも見えない。

 目を凝らすと、深淵の洞窟の中に、小さな足跡が見える。深淵の洞窟に探検に入った勇気ある者達の足跡である。その足跡は発光している。後からやってくる洞窟の探検者達はその光を頼りに洞窟に入っていく。足跡が途切れるまで、探検者達はその足跡を辿って奥深くまで進む。そして、その先に新たな足跡を付けながら、更に進んでいくのである。時には足あとは迷っていたり、間違っていたりすることもある。探検者達はそれに戸惑いながら、時には笑い飛ばしながら、その足跡を修正しつつ進んでいく。知恵の光を後ろに残しながら。

 その軌跡は、汗と涙に満ちている。そして、それゆえに多くの人の心を動かす。洞窟の探検者よ、永遠なれ。そして「おちんちんガールスカウト」よ、永遠なれ。「おちんちんガールスカウト」が、叡智のページをまた1枚めくる。

「ヒヨコをミキサーに入れる研究をしてる」スレについて物理の勉強してる人に聞いた

先日、こんなスレを読みました。

 

ヒヨコをミキサーに入れて何が失われたか研究してるけど質問ある? | 不思議.net

 

いやいやまとめで失礼。

概要をまとめると、この人はピヨッてるヒヨコと、ミキサーにかけてジュース状になったヒヨコの違いとは何なのか、何が失われているのか、つまり生きているとはどういうことなのかについて研究しているらしいのです。

何てキツイ実験をさせられてるんだろうとこの人が不憫でならない。

 

とにかくこの件について、大学で物理、特に量子とかナンチャラとかいうものを勉強してる人に聞きました。あくまでその人の専攻から見た考えなので、どうぞご容赦を。

以下、私(じょーたそ)と、物(物理勉強してる人)の会話形式でお楽しみください。私が物に独り言を話してるわけではない。

 

<感情や生命は運動量である>

私「ヒヨコジュースを、元々のヒヨコと全く同じ構造に戻したらそれは同じ?」

物「完全に同じにしたら一緒だよ」

私「元々のヒヨコの気持ちとかも戻るの?」

物「それはヒヨコを構成してた原子や原子の中身等もろもろの運動量も戻したら一緒だよ」

私「じゃあ感情とか生命って運動量と言える?」

物「まあまあね」

私「ヒヨコを構成している炭素が入れ替わったらどうなるの?」

物「原子は相互に区別できないから、入れ替えても入れ替えなくても一緒だよ」

私「じゃあヒヨコをヒヨコジュースにした時に失われる物って運動量ってこと?」

物「うーん、位相も関係ありそうな気がするけど、位相わかる?」

私「わからない」

物「じゃあいいや」

 

<突然人が現れると寒い>

私「でも例えば私をミキサーにかけた後に元に戻したとしたら、それってやっぱり同じことだと思えるの?」

物「そりゃ心境的には違うよ」

私「でも私は運動量も含めて同じ人間だよ」

物「人間を再構成したとしても、周囲の環境との相互作用は同じじゃないよ。つまり『この人が一度消えて現れた』という事実は、周囲の環境の中に残っているよ。周囲の環境の例を挙げると、例えば人の周りの空気って普通はちょっと温かくなっているけど、何もないところに突然人が現れた場合、その人の周りの空気は温かくなっていないはずだよ。だからその人は多分一瞬『うわっ寒っ』となるはずだよ」

 

<自然死とミキサーの違いは僕わからないよ>

私「ヒヨコをミキサーにかけると、ヒヨコの持ってた運動量はどこに行ってしまうの?」

物「熱エネルギーとして空気中やミキサーに発散されたりすると思うよ」

私「ヒヨコが自然死すると、ヒヨコをミキサーにかけて殺すのとは何が違うの?」

物「僕にはよくわからないよ。もし仮に、感情等のエネルギーがなくなること=死ぬことだとすると、電圧がかかって電流が流れてるところを想像してみるよ。電圧がかからなくなると、電流は抵抗に負けて最終的には停止するよ。死ぬことはそれと同じじゃないかなと思うよ」

私「なるほど。だったら、ヒヨコが自然死するときは、心臓が停止する→電圧が流れなくなる→流れてる電流が摩擦で失われるっていう順序だけど、ミキサーにかけると、心臓が停止するより先に回路である血管が切れる等の理由により電圧が流れなくなることがある、とも言える?」

物「僕ちょっとよくわかんないよ」

 

<死ぬとは何か>

私「死ぬっていうのはそもそも感情等のエネルギーがなくなることで良いの?」

物「もちろん色々定義できるよ。細胞の死だとすると、当たり前だけど細胞が活動できなくなった時を指すよ。でも人間から観測する死は、感情等のエネルギーがなくなった時のことを指すような気がするよ」

私「細胞の死は、感情等のエネルギーの死よりも後に起こるよね。だったらイカの活造りって割と生に近い方の死っていうことになる?」

物「まあそうとも言えそうじゃないかな」

私「じゃあこの研究してる人ってヒヨコでじゃなくてイカでやってもいいんじゃないの?」

物「僕専門じゃないから詳しく突っ込むのやめてほしいよ」

私「なるほどありがとうございました」

物「ありがとうございました」

 

 

非常に興味深い話を聞けました。あくまで量子力学とか勉強してる人の意見なので、ふ~んってな感じでお聞きいただき、別解があるようなら是非コメント欄で教えて下さい。

ちなみに私は土木工学専攻ですので、地盤が隆起するのは法面の土圧のせいで、クーロン土圧とかを使うと導き出せるなぁってことしかわかりません。

カーマ・スートラが主張するロマンティックなセックスを英語→日本語に訳して紹介するゾ

古代インドのセックス教本として名高い「カーマ・スートラ」を読んだことはありますかな?

カーマ・スートラは、wikiによると、

「7部35章に渡って書かれた古代インド性愛論書。第二部は赤裸々に性行為について綴ってあるため、特に有名」だそうです。

「セックス教本!!!エロ本!!!!うっは!!!!うはうは!!!!」と思った方は是非読んでいただきたい。何故ならそんなにエロくも何ともないし、正直セックスのやり方について延々書いている箇所を読み続けるのは退屈だからです。「ちんこをこう動かせ」と言われても、別に私試せるわけじゃないんでね^^^^(試せる人が読んだら面白いのかな?それちょっと興味深い)

 

カーマ・スートラの中で私が好きな箇所が一つだけあります。それは第二部十章の「性交の始め方と終え方」のところです。私が読んだのはカーマ・スートラ英語訳(リチャード・バートン訳・1883年)なのですが、英語が超絶美しい上に、その性交の始め方と終え方が超ロマンティックなんですよ!!!

女心にズバッと来るロマンティックさなんですよ!!!是非紹介したい!!!こんなセックスしたことない!!!誰かやって!!!

 

紹介ついでに、日本語訳も付けました。日本語にしても綺麗。

 

<日本語訳(訳:じょーたそ)>

男は友人や召使と共に、花で飾られ、香水が薫り立つ寝室にて、女を待つべきである。女が入浴を済ませ、着飾って寝室に訪れたら、彼女に軽食と飲み物を勧める。

男は彼女を自分の左隣に座らせ、右腕でそっと彼女を包み込みながら、髪や衣類の房に触れる。

その後、二人で様々な主題について機知に富んだ会話をする。時には、下品なことや外では言えないようなことに関して話してもよい。

二人で歌ったり、踊ったり、楽器を弾いてもよいし、芸術について話し、酒を飲み交わすのもよいだろう。

彼女が愛と欲望に抗えなくなった時、男は、部屋にいる人々に手土産として花、軟膏、キンマの葉を渡し、帰らせる。男女が二人きりになったら、前章(性交のやり方)で説明した通りに取り行う。これが、性交の始め方である。

 

性交が終わったら、恋人たちは慎み深く、お互いを見ることなく、別々に洗面所に向かう。その後、彼らは共にキンマの葉を食べる。男は、自分の手で女の体に純度の高いサンダルウッド等の軟膏を塗ってやり、彼女を左腕で抱きしめる。そして優しい言葉をかけながら、彼の手の中のコップから水を飲ませるか、彼女にコップを渡す。

その後、砂糖菓子等二人の好物を食べてもよい。また、フレッシュジュースやスープ、オートミール、牛肉の出汁、シャーベット、マンゴージュース、砂糖を加えた柑橘類のジュースなど、外国で好まれている飲み物や、甘く、柔らかく、純粋な飲み物を飲んでもよい。

恋人たちは、宮殿や家のテラスに座って、月光を楽しみ、優しい会話を続けてもよいだろう。女が男の膝に頭を乗せ、月を眺めているような時には、男は惑星、明けの明星、北極星、北斗七星や大熊座などを女に教えてやるのがよい。

 

英語版

IN the pleasure-room, decorated with flowers, and fragrant with perfumes, attended by his friends and servants, the citizen should receive the woman, who will come bathed and dressed, and will invite her to take refreshment and to drink freely.

He should then seat her on his left side, and holding her hair, and touching also the end and knot of her garment, he should gently embrace her with his right arm.

They should then carry on an amusing conversation on various subjects, and may also talk suggestively of things which would be considered as coarse, or not to be mentioned generally in society. They may then sing, either with or without gesticulations, and play on musical instruments, talk about the arts, and persuade each other to drink.

At last when the woman is overcome with love and desire, the citizen should dismiss the people that may be with him, giving them flowers, ointments, and betel leaves, and then when the two are left alone, they should proceed as has been already described in the previous chapters. Such is the beginning of sexual union.

 

At the end of the congress, the lovers with modesty, and not looking at each other, should go separately to the washing-room. After this, sitting in their own places, they should eat some betel leaves, and the citizen should apply with his own hand to the body of the woman some pure sandal wood ointment, or ointment of some other kind. He should then embrace her with his left arm, and with agreeable words should cause her to drink from a cup held in his own hand, or he may give her water to drink.

They can then eat sweetmeats, or anything else, according to their likings and may drink fresh juice, soup, gruel, extracts of meat, sherbet, the juice of mango fruits, the extract of the juice of the citron tree mixed with sugar, or anything that may be liked in different countries, and known to be sweet, soft, and pure.

The lovers may also sit on the terrace of the palace or house, and enjoy the moonlight, and carry on an agreeable conversation. At this time, too, while the woman lies in his lap, with her face towards the moon, the citizen should show her the different planets, the morning star, the polar star, and the seven Rishis, or Great Bear.

(出典:

The Kama Sutra of Vatsyayana: Part II: On Sexual Union: Chapter X. How to Begin and How to End the Congress. Different Kinds of Congress, and Love Quarrels

 

インド人はこんなセックスしてるんでしょうか????ちょっとすごすぎない?????惑星について話をしてくれるインド人の男すごすぎない?????そして性交後に飲む物に関してのこだわり多すぎない?????口説いてる様子を見せられる友人と召使迷惑すぎない?????やっぱこの章は神がかってるね。

 

料亭で日本料理を運ぶバイトのメモが見つかった

ちょっと前に、とある料亭というか旅館みたいなところで、懐石料理を運ぶバイトをしてました。

修学旅行とかで旅館泊まったことあるっしょ?その時に着物着て料理持ってきてくれた人、アレあたしです。

行かなくなって相当時間が経ってるんだけど、Evernoteにバイトの時に使ってたメモが残ってて、読んでみたら結構面白かったんで貼ります。旅館の裏側みたいなところを察してください。

 

ーーーー以下メモ内容+解説ーーーー

 
<シフトの入れ方>
連勤は2日まで・土日どちらか必ず休む・昼は基本入れない
(コメント:連勤したらめっちゃキツかったんだろうねwwww現場は朝・昼・夜があって、朝は6時〜、昼は10時〜14時、夜は17時〜20時までのシフト。昼夜でシフト入れると死ぬ)
 
<座敷の流れ>
☆準備 
小物集め→湯呑、さしちょこ、箸置き、箸、グラス、コースター、おちょこ、ご飯茶椀、フォーク、スプーン、とんすい、れんげ  
鍋の場合は五徳。Sコースは15、Aコースは10、Cは12
おしぼりはぎりぎりでよい。
30分前から料理をつける。相肴は真ん中、大きい器がその上に来る。
(コメント:この辺は、お客様が来る前に準備しておくお皿などのリスト。15、12、10というのは、鍋の下に置くロウソクの大きさのこと。料理をどこに置くかっていうのは適当じゃダメで、どの皿がどの皿の隣かっていうのがきちんと決まっている)
 
☆お出迎え
来たらお出迎え。一歩先に上がり、ふすまを開けてお通しする。お荷物がある際は受け取る。座りにくそうな人には座椅子を。 コートは脱ぎ次第受け取る。下駄箱を整理する。
飲み物を伺いに行く。迷っていたら旅館オリジナルワインを勧める。このあたりで上座を見抜くとよい。
(コメント:「迷っていたら旅館オリジナルワインを勧める」の回し者感に笑った。とにかく周囲の状況を見て、困っていたらすぐに話しかけようっていう感じです)
 
☆料理
頃合いを見計らって調理場に電話していく。「失礼します。どこどこ○コース○名様の何とかお願いいたします」頼んだらメニューに下線を引く。料理が来たらエレベーターから下ろし、長手に移し替える。 席の分担をして配る。配ったら丸をつける。
 
焼き物は滑るので両手配膳。
デザートのフォークは左側に柄がくるように。スリップ注意。
 (コメント:整理すると、配膳する人は調理場に電話し、調理場から料理を出してもらって、それをお盆に入れ替えて持っていくっていう流れです。「焼き物は滑る」というのは、焼き魚のお皿ってデカイ上に平らなことが多いから、傾けると魚がスリップして事故ることがあるってことね。デザートの「スリップ注意」は、皿に載せたフォークがスリップするということ。デザートの「フォークは左側に柄が来る」は、お客様の対面から配膳を行うことを前提として書いている。
座敷だと対面から配膳をするけど、椅子だとお客様の右側から配膳するよ)
 
☆飲み物
◯◯ハイはくぼみのあるグラスに氷を入れ、◯◯をくぼみまで入れ、いいちこで割る。
ワインは持ち方含め不明。
(コメント:「ワインは持ち方含め不明」wwwwwwお酒については結局よくわからないままバイトしてたけど、ベロンベロンに酔ったお客様だと、例え徳利をぶちまけようが余り怒らなかった、いわんや味をや)
 
☆ハタキ
小物1は最初に集めたものに、金網や木の板、箸置き、匙、など
小物2は懐石に入ってた小さいもの 以下略
(コメント:「ハタキ」というのは、片付けのこと。結構細かく皿や小物の分類があるので、覚えるのが大変だった) 
 
 
こんな感じ。
食品業界でよく言われるような「食材の使い回し」とか「不衛生なうんちゃら」とかとかは、うちの旅館ではなかったです。唯一使いまわしてるのは、竹を使った器とか、器に敷き詰める石とか、そんなもんです(しかもきちんと洗ってる)。
しかし、一応料理が有名な旅館にも関わらず、大体が冷凍食品だったらしいwww冷凍食品コーディネートするのもまた料理長の腕だと思うけど、ちょっと残念だわね。
 
配膳バイトはとても面白いのでオススメです。中年・壮年・高齢者の方々と触れ合えます。
でも余り可愛い女の子だと絡まれてめんどくさいかもしれないので、ブスにオススメ。特に古風なブスだと、「(日本)人形みたいでかわいらしいわねぇ」って年配の方々にチヤホヤされて超快感ですよ!

          おそ・・・ろ・・・しいの・・・・は・・滝
                             よ
             のつ・・・・・かな・      り
             し        い      む
             ・  方の・・・去過      ・
             返               し
             ・               ろ
             り取・・・・・・・・・方・・・の渦 

 そ
   ろ
     し
      い
       の
        は
         渦
         よ
          り
           む
                   し
              ろ
              滝
                の
                   方
              ・
                取
                 り
                   返
               し
               の
                つ
                 か
                  な
                 い
                                     未
                   来
                                の
                    方